どう生きる

とりあえずアウトプットをする場

⑨「天パはコミュニケーションツール」20180329

 

 このブログを始めてからもう一週間以上経つけども文章力が上がったかどうかは正直微妙なところだ。でも毎日何かを考えて文章に起こすという活動しているからアウトプットするという癖は前よりもついたと思う。残り3週間ぐらいあるけれどもこれを書くことは当たり前にしていきたい。4月になってからすごい忙しくなるかもしれない。新しい担当になり、勤務形態も変わり上司ももちろん変わる。後輩もまた入ってくる。歓迎会も何回もやらなければいけない。なんかテーマを決めて下がないなんかあんまり意味がない気がするので 天然パーマについて話そうと思う。

「天パはコミュニケーションツール」

 自分は非常に強い天パは高校までは正直に言って嫌な思いをしたことの方が多かった。でも大学以降はその恩恵を受けている。パーマかけていないけどもパーマかけてるって聞かれるしおしゃれなパーマだねって毎回言われた。すごい得。直毛の人よりも髪の毛のアレンジが利くしそういう意味でお金はかからない。海外行った時も結構評判の良くていいカールがねって毎回言われた。所謂コミュニケーションツールなんだなと大学生の時に気づいた。日本人に対してはこれ天パなんだよって言うとすごい ねと言われて話が始まる。社会人になってからも初対面の人には使える。最近になってパーマがすごい弱くなった。多分髪の毛の乾かし方や年を取ったことによって毛根が弱くなったことが理由だと考えている。いいのか悪いのかわからないけど。

 コミュニケーションツールには他にもあってそれは名前だ。初対面の人には「この名前何て読むんですか」と聞かれる。学校にいた時は4月毎回これなんて読むのって先生と話をすることで新しい年度を感じていた。何か特別感があって気分も良かったし社会人になって営業に近いことをしていた時は最初に話し始めとして「あなたこれ何て読むの」って聞かれるから話を始めやすい。大抵次は「どこ出身なんですか」と聞かれるので、「どこどこ出身なんです」と。お客さんはどこなんですかっていう話をすれば地元のトークが始まるわけだ。これらのコミュニケーションツールは先天的なものであって正直運が良かった。ありがたいのだからこれからも使っていけたらと思う。でも、最近を結婚考えていてもしかしたら自分の苗字が変わるかもしれない という状況にある。正直ちょっとだけ寂しい。けど別その人と結婚できるのだったら別に苗字教えてもいい。まとまらないけど今日はこのくらいにしておく。

 もうちょっと構成を考えてから書くようにしたい。

⑧「ダイエット」20180329

昨日からダイエットを始めた。体重を2.5㎏落とす。理由は最近筋トレをさぼっていて体重が増えただけでなく少し頬にもついてしまったからだ。体重は高校生の時からほとんど変わっていない。高校まではずっとサッカーをしていて引き締まった体をしていた。最近も筋トレは欠かさず、体重を増やさないように、おなかが割れている状態を保つようにしてる。

 理由としては、だらしないお腹が許せないからだ。ずっとお腹が割れている状態でほかの人に見せれる状態だったのにそうでなくなることが許せない。体が重くなるのも困る。フットサルは今でもやっているし、それが楽しめなくなるのは困る。

 ダイエットの方法は食べる量を意識することと筋トレをすること、体重を毎日図ること。この三つだ。これだけで痩せることができる。でもこれはまだ若いからできることであって、年を取ったら他の方法も考えなければいけないだろう。筋トレの中身としてはシャワーを浴びる前に腕立て伏せ、腹筋を30回×2をする。これだけで十分。あとは鏡を見る。自分に納得いかなければ+αもする。毎日のノルマを高く設定しすぎると大抵できなくなってだれてしまうからそれはしない。努力義務にしておけばやらなくても罪悪感はない。やったときに満足感だけがある。体重を毎日記録して客観的に数値で理解することも重要だ。減ったらものすごくうれしいし、あとどのくらい頑張らなければいけないのかがわかる。毎日それを確認することは大事だ。食べたものに関しては家計簿をつけているから把握することができる。なので作業量はそこまで増えていない。

 これをすれば-2.5キロは二週間かからないで落とせる。大抵基準の体重があってそれよりも三キロ程度超過した場合、ダイエットを始める。そして、大抵すぐ達成しそのまま筋トレ生活をして、なにか生活習慣の変化等でやらなくなるorストレスで体重が増えて上に戻る。体重に関してはこのままキープしたい。絶対にビール腹になりたくない。このままの体系を、維持したい。

⑦「医療」20180327

書くことが思い浮かばなかったから友人と電話しててテーマをもらった。「医療」。この言葉を聞いてまず思い浮かぶのは医療費の高騰だ。日本はこれから更に高齢化が進み、医療費の高騰につながるだろう。老人の数が多すぎて医療保険で賄うことができなくなる。アメリカのようにそれぞれ個人が保険に入り形になるのかもしれない。

 医療関連の仕事はこう急だというイメージがあったが最近はそこまでではないとも聞く。医者の知り合いは近くにいないからわからないが、MR、看護師、薬剤師、介護士等も少し前に比べて給料も高くないという話を聞く。それも結局は医療制度が破綻しかけていることが結局の原因である。

 少し前から医療費控除の制度が始まった。セルフメディケーション税制である。概要は健康の保持増進疾病の予防として、自己または配偶者等の親族の医療品の購入をした場合に控除を受けることができるというものだ。金額は12,000円以上。最近薬局に行ってもセルフメディケーション適用のシールが張られた薬を見かけるようになった。面倒な点としては二つある。一つ目は確定申告が必要な点。二点目はレシートを捨てずにとっておく必要があるということ。

 日本では基本的に確定申告をする必要はないが、最近はふるさと納税と言い、この税制といい、確定申告は必要になる可能性はあるが、お得に使える制度が増えている。

 国からのメッセージとしてはもう国が助けることはできないということなのだろうと思う。

⑥「幸せについての呟き」(2018/3/26)

今日は特に言いたいこととかないから少し思っていることをつらつらと話していければと思います。 最近また少しモヤモヤしている時間が長い。自分がどこに向かっているのか今どこにいるのかっていうのか明確になっていないからだ。

 将来は今の彼女と付き合って海外についていければいいと思っているけれどそれは一つの選択しであるけどでも 全く働きたくないわけではないし働くとかやりがいとかそういうのがなければ多分楽しく生きていく事っていうのはできないと思う。働くことの目的はお金を稼ぐことだけど、それだけではない。働かなければ生きていくことはできないけど金があるからといって働かないというのが正解というわけではない。人間には欲求というものがあるからそれをうまく満たしていかなければいけない。三大欲求についてはお金で解決できる。でもマズローの欲求5段階説というものもある。人間はその三大欲求だけではなくそれ以外の良い点を満たしている必要がある。自分が認められるとか何かを達成するとかそういう部分で欲求を満たさなければ全然生きていても楽しくない。でもそれはぜいたくな悩みかもしれない。何か熱中できる趣味とか生産性のある活動をしていればその部分にやりがいというものがあって自分自身満たされていくかもしれない。でも自分みたいに承認欲求が少し強いと人との繋がりはなければいけないし誰かとの対比で自分が優れているというのを認識したりとかそういう何か成果をあげることができないとなかなか満足ということできない。それは幸せではない。彼女が優秀だからやらなければいけないって思いもあるけどそうだけそれだけではなくて 今仕事のやりがいはない。

 やらなければいけない環境じゃないとなかなか是非もやる気が出ない。理由は自分が他の人よりできない理由 失敗するっていうのを軽減するのが辛いというのを知っているからだと思う。だからなんとなく自分の中で言い訳をしてしまうし積極的にやろうという気も起きない。わかっているけどできないという思考は成功することはないだろうということも認識している。

  やるべき事っていうのはある程度明確にあるんだけどそれを実行するっていうのは本当に難しくて それができる人 しか成功はできない。 まず絶対にできないわけではないけど再現性というものもないだろうしそうやってわかっていることをやらなければいけないことを明確にして期限を決めてそれを実行することでそこから学んで次に生かすこととする事っていうことができれば成功はできるだろう。

⑤「思いやり」「ゾーンに入るためには」(2018/3/25) 

⑤「思いやり」「ゾーンに入るためには」(2018/3/25) 

「思いやり」 

今日からは題名の最初に番号を書くようにする。見栄えは悪くなるが第一にわかりやすく管理したいという思いから。

 彼女とデートしてる時に結構面白い話になる。今日は思いやりについての議論になった。全部覚えているわけでもないが、備忘録として記録していけたらと思う。 

 彼女が私に思いやりがあるかという話だが、私はないと主張(冗談だが)、彼女はあると主張。そもそも思いやりとは何か。ぐぐると「相手のために気遣ったり同情したりする気持ち」とある。私自身は彼女のことを思いやり鞄を持ったり、上っ面カインドネスを繰り広げている。彼女からしたらそれは思いやりではない。という。それらの行動は結局は自分のためであって思いやりではない。私が思いやっているのは彼女のためだけではない。それは事実だ。自分のためでもある。でもお互いが良い気持ちになるために行動をしているわけだ。それが結果的に打算的で思いやりでないと言われればそれまでだが。結局、思いやりは相手のためを思ってアクションを起こすということになった。気持ちだけでは思いやっていることは伝わらずそれはただ思っているという状態にすぎない。そうではなくて思いやるという「やる」というのは行動を起こすということだから、彼女は私にそんなには尾もやってはいない。ということになる。

 話し合うことが楽しく、私は別に思われていないとは思わないし、でもたまに扱いが雑だなと思うことはあるから議論に応戦した。

 文字に起こすのは難しい。もう少し文章力が上がればわかりやすく面白く書けるのだろうか。

 

「ゾーンに入るためには」

 久々にESの添削を行った。自身が就活生だったのはもうだいぶ前だが、ESについてはだいぶ頑張って書いたのでノウハウはある。就活後は就活生にアドバイスをしながら添削をすることは自分の勉強にもなる。

 文章力、相手が何を書きたいのか書ける内容があるのかヒアリングする力、端的にまとめる力、等だ。普段あまり文章を書く機会がないから文章力もだいぶ落ちた。ありがたい機会だと思って書いてみた。悪くない出来だった。だいぶ前の話だけれども一回できるようになったことは時間がたっても少し行えば勘は取り戻せる。

 気づきは他にもあった。添削した学生は非常に優秀な学生であったが、ESに関しての完成度は高めることができた。私にノウハウがあったことだ。こういう部分が自身の強みになるのかもしれない。もう一つ。集中していなければ質の高いものはできなかった。集中というのも漠然としたものだが、そういう状態、いわばゾーンに入っているような状態であれば高いパフォーマンスを発揮することができるわけだ。再現性を持たせるためにはどういう経緯でそうなったのか言語化しもう一度試す必要がある。簡単にその状態になることができれば他の作業の時も高いパフォーマンスの発揮が容易になるだろう。

 少しその時について思い出してみると、「カフェで、自分以外の人と一緒に作業をし、夕食を食べた後コーヒーを飲んでいた。お気に入りの曲を聴きリラックスしながら作業に当たった。」くらいなものだろうか。

 また同じように集中して作業を行えた時はどのような状況だったのかは記録し、同じように作業を行ってみたい。

 

 

「自分の周りの5人の平均年収が自分の年収」ブログ4日目(2018/3/24)

これは良く言われることだが、実感としてあっていると感じる。私の周りには大学職員、銀行員、公務員、公務員、個人事業主がいる。年収は皆ほとんど変わらない。個人事業主に関しては少しだけ高いかもしれないけれど他はもう大差がない。 

 この事実が何を表しているのかといえば、周りにいる人は自分と同じレベル。なのか。周りの環境と同じレベルに落ち着くということか。どちらにしても周りの環境が自身に与える影響というのは大きい。今の環境から自分を変えたければ周りの環境を変える必要がある。でも、それにはストレスが生じる。自分の周りにいる人たちは一緒にいてもストレスを感じることはない。自分よりも高い年収をもらっている人は自分とは違った当たり前を持っている。それに適合しなければいけないわけだ。

 私は社会人になってから様々な人に会ってきた。それは自身がサラリーマンでいたくない。独立or在宅でもできる仕事をしたいと考えている。それを達成している人に会ってその人たちが実際に何をしているのかを知りたかった。最初は拒否反応がひどかった。自分の周りには基本的には堅実な人しかいない。父は公務員。母は看護師。友人は公務員が大多数。個人でやっている人たちのあたりまえは私にとっては刺激的過ぎた。良いいみではなく、怪しさを感じた。ロジックが間違っているわけではない。もちろんネットワークビジネスがある程度はやるのは頭のいい人たちが仕組みを考えたからだ。つまりはロジックが通っている。手段も誤っていない。結果的にうまくできない人は仕組みにはまり込み他の人をそこに巻き込もうとする。特定の集団を書いているように見えるだろうが似たような仕組みは多い。自分を明確に持って生きていかなければいけない。とも感じた。

 話がずれたが、多くの独立している人たちに合った結果その人たちの考え方に自分も違和感を感じないようになった。でも現実的にその世界に踏みでる勇気はなかった。リスクをとらずに目標を達成している人を探しまた人にあった。 

 私は今現在個人で働けるスキルをリスクをとらずに得る方法を考え実行している。詳しくは書かないが、方法はある。自分の理想も最初は明確ではなかった。周りが公務員ばかりで公務員で定年まで働くことが当たり前になっていればそれ以外は間違っているように見えてくる。

 だいぶ道それたけど、自分の周りを認識をする必要がある。見つめなおしそれでいいのか問うべきだと思う。



「サービスの良い店でアルバイトはするべきではない」ブログ3日目(2018/3/23)

楽なアルバイトを探している大学生は多いと思う。私自身も大学生の時はいくつものアルバイトを経験した。イベントスタッフ、カフェの店員、高級焼肉屋、大衆向けファミレス等々。非常に多くのことを学ばせていただいた。

 その中の一つが、掲題の「満足度の高い店でアルバイトはするべきではない」ということだ。理由としては単純だ。満足度が高いということは店側としてはアルバイトに高いサービスを求める。某ファミレスは店に行ったとき満足度が高かったからバイトに応募したのだが、教育は非常に厳しかった。手の洗い方、お辞儀の仕方からすべて店長から指導を受けた。たまにくる社員さんからは素手でフォークを触るんじゃないとか、ビールのグラスは水滴がつかないように乾いたペーパーで拭いてから冷凍庫にいれろとか、非常に多くのことで注意を受けた。お客さんが食べ終わって方1分以内には皿を下げれなかったとき怒られたのは素直にやめたいなと思った。全国でも有数の忙しい店でそれを求められるのは厳しいものがある。

 人によってはそれくらいは当たり前だろうと思うかもしれないが、個人経営の居酒屋ではたらいていた時は全くそんなことは言われない。焼肉屋でサーロインを落としてしまったことがある。料理長に謝るとだいぶ不機嫌になり、また切ってもらうの申し訳ないなと思ったが、落としたサーロインが洗われて出てきた。何も言うこともできずにお客さんに出したが、店はまだ潰れていないが今ではそんなこともないと思いたい。もう7年くらい前のことだ。

 話を戻すが、満足度の高い場所で働くのは求められるハードルが高くブラックになりやすい。人間関係が良いから続けることができたが嫌いな人が少しでもいたら無理だっただろう。少し前に某テーマパークでも実態はブラックだという話が出てきたがそりゃそうだろという感じだ。

 ということで、楽して働きたいなら「自分で使ってみて満足度の低い店」を探そう。一つの視点として探すときに気にしてみてほしい。