どう生きる

とりあえずアウトプットをする場

「東日本大震災から7年」ブログ4日目

 


 私は東日本大震災の被災者です。震災の日2011年3月11日は一人で福島にいました。帰宅難民となり、災害対策本部に一人で助けを求めに行き、なんとか実家がある群馬まで帰宅することができました。

 大学入試後期試験はなくなりセンター試験の結果だけで結果が来ました。結果として合格。震災の影響がある大学へ進学することを少し躊躇しましたが、逆に面白い経験ができるのではないかと思い入学しました。

 そんなときからもう7年。感じることについて少しでも残しておこうと思います。


〇人の本性。

 非常事態になると本性が出るといいますがそれは本当だと思います。私はまだ高校生で初めての福島県。お金は一泊のホテル代しかもっていませんでした。ネットもまともにつながらず、土地勘もない場所で本当に多くの人に出会いました。それは避難所である高校の体育館まで連れて行ってくれた人。そこで炊き出しをしてくれた八百屋さん。避難所運営を手伝っていた高校生。すぐに迎えに来ない私の両親にぶちぎれ電話で起こってくれたおっさん。実家に少し近いところに住んでいたからという理由で途中まで送ってくれた県庁職員。感謝でいっぱいです。でもそうではなく、道端で県庁がどこか聞いてもガン無視した人。ホテル代がないから親が来るまで泊めてくれと言ったのに無理だと舌打ちしたフロント。

 信用できる人とできない人両方ともいました。そういう時にこそ優しく困っている人に手を差し伸べられる人でありたいと思います。震災から時間がたったらそのホテルや八百屋へ行こうと考えていたが行けていないのは少し心残り。


〇避難するべきだったのかについて

 あの頃は原発福島県にあることさえ知らない高校生でした。しかし、そこに住むことになり(たぶんそうでなくてもだけど)原発について非常に多く考えさせられました。印象に残っているのは大学の最初の授業で教授が今からでも遅くはない。避難しろと暗に言ったことでした。教授がこんなこと言っていいのかと思いました。その教授は数か月には西日本の大学へ異動していきました。

 私は避難、若しくはその大学に進学することについてまともに考えずに入学しました。それが良いのか悪い選択だったのかは死ぬまでわかりません。正直その大学へ行かなければ経験できないことはたくさんありました。そこへ行かなければ大学生の4年間で25か国行くことはなかっただろうし、その時出来た友達とは出会えていなかったのだから。

 でも、死ぬまで私は自分自身の選択について悩むことになります。幸いまだ周りでがんになった人はいませんがそうなる可能性はあります。二人に一人が癌になるという時代です。もし癌になったとしてもその責任は電力会社はとらないでしょう。因果関係の証明など無理だと思います。私にできることは検査に行くことだけ。それも私は住民票を移していなかったので自分で公的機関に連絡してやっと実現したものです。

 話を戻しますが、大学生の時、震災関連のゼミに属していたため放射線量の数字を見る機会がありました。モニタリングポストを見るとすごい低い数字が出ており大学構内、駅周辺も安全ですよアピールはされていましたが、実際はどうだったのか。あれは除染されたあとの地表から1m(確かそんなもん)で測定しています。地表1mでは当たり前に100倍以上の数値が出ていました。風で飛ぶし、雨で流される。所詮除染は不可能。それを知り自身は思っている以上の被ばくをしていることを知りました。その時は本当に過去の自分を呪い、高校生に戻りたいと感じました。でも慣れとは恐ろしいものでそれが当たり前になります。そんな今更避難している人もいないし、しなくていっか。となりました。

 福島県では天気予報の最後にいつも被ばく線量の数値を流していたけど、今でも流しているのかな。


原発の有無について

 あの頃は原発反対の意見が世論の中心でした。今はどうかといえば、皆、興味がない。知らない。でしょう。地震が起こってすぐは興味関心を持ち、いろんな人が意見を言っていたけれども今はもう誰もそんなことを話していない。別にそれが悪いとは思わない。だって私自身も社会問題すべてに精通し、自分の意見を持っているかと言われれば実情について知らないから自分の明確な意見もないというのが正直なところです。どんなに悲惨な事故が起こったとしてもいずれは忘れられます。

 個人的には原発反対です。ですが、それに代替できるエネルギーがあるのかと言われればそんなことはなく、火力発電が増える。足元を見られ値段も上がり日本の財政はさらにひっ迫。そんな単純な話ではない。経済的なメリットと人の命の重さを比べるべきなのか。。

 技術発展に期待するしかない。頑張ってほしい。ブログっていいものでこんな適当な意見さえも何も躊躇することなくいえる。

 

ちょっと長くなってきたから今日はこんなもので。実際は3月10日に書いているけれど。

(30分程度)